音楽三昧の日々。
何とか三昧、という言葉は、とても幸福な状態がイメージされます。
何か人生の、究極的な快楽の感じがします。
でも、この言葉のウラには、「そんなことできないでしょ!」と否定する自分がいます。
そう、できないから、そうなりたいと望むのです。
でもいま思うと、昨年の今頃は、まさにこの状態だったなー、としみじみ思い出します。
2月末の演奏会に向けてあと1ケ月、毎日がチェロの練習の日々でした。
全3曲あるのですが、まだ弾けない箇所もアチコチあり、時間があると練習です。
でも、我ながら「すごい」と思ったのは、例えば、食事後の洗い物をしているときに、
その曲をハミングしていることに気づいたのです。
頭の中で、その練習曲が響いていたのです。
そうか、これが「音楽三昧」というものかな。
TVの有名人が「私の家は、一日中音楽が聞こえる家で育ちました」と、
幼いころを紹介すると、なんだか高貴な家庭で育った、と羨ましさを誘います。
が、ご本人はその後音楽家になった訳ではないことは多くあります。
(勿論、音楽家になった方もおります)
私がその日常を説明すれば、その音楽とは、行きつ戻りつ、の聞いて退屈な練習の時間が
延々とあったのではないでしょうか。
ご本人は真面目な練習でも、聞かされているほうは「同じ曲を、懲りもせず、聞かされ、まあ・・」と。
そうです、私のカミさんからすれば、その私の「三昧」の日は、
うんざりの日々でしたでしょう。
と、いう訳で、「何とか三昧」とは、本人だけが倖せな状態をいう言葉であることが
わかりました。
我が家では、部屋のドアを閉めて、練習することにしました。
以上