私の雑記帳

資料を調べながら、いつものNHK「ラジオ深夜便」を聞いています。
今年はNHKが1925年に放送を開始して、放送(ラジオ)100年の年ということです。
今夜のトークのゲストは、「二木てるみ」さん。
彼女の子供時代、NHKでの活動の四方山話になりました。

housouそういえば、私もNHK長野放送局の児童劇団に在籍し、ラジオドラマに出演してました。
それはある日、母親に付き添われて、NHKの子役オーディション(と昔は言ったかどうか)に参加した記憶があります。
数十人も応募者がいたでしょうか。
いきさつは分かりません。きっと母親が自分の出来なかった夢を託したようです。
当日訳も分からず、渡された原稿を手にスタジオで、笑ったり泣いたり、原稿の指示どおりに、
上からぶら下がっていたマイクの前で演じました。

その選抜に通って、最初の放送局の集まり日は何とハイヤーが回されて来ました。
(当時は、タクシーとハイヤーの区別も分かりませんでした)
一人で大きな後ろの席に、チョコンと座って行きました。 
バス以外の車に乗ったのは初めてだったと思います。

いまラジオでは、二木さんは一つ年上の「小柳とおる」氏と一緒に仕事をした話をしています。
(であれば、二木てるみさんは、私より2つ下です)
後に、小柳とおる氏と二木てるみさんは、TVを中心に人気子役になりました。
でも小柳とおる氏は20才で事故死しました、と伝えていました。

放送劇団員は、定例では月1回、団員5人(だったか)の学習会があり、先生は当時の局長です。
歌舞伎の歴史シリーズの講話だったのだと思いますが、「猿楽」の奇妙な言葉は今も記憶にあります。
(内容はもうすっかり覚えていません)

ラジオドラマの出演時は、連絡があり、お迎えのハイや―がきます。
(親が冷やかして見送ってくれました)
ドラマは、長野県の偉人の子供時代の話の時です。 覚えているのは、「伊澤修二」。
長野県伊那市の出身で、後の文部官僚、教育学者です。
そんなこんなの内容で10本くらいのドラマに出ました、
ある時、学校で自分の出演したラジオを教材で聞きました。
恥ずかしかったのですが、何とも自分の声と思えなく、救われました。

収録の休憩時、私の興味は、そのスタジオに設置されている「道具室」です。
そこに潜り込むと、ドラマで使う「擬音の道具」が一杯ありました。
恐る恐る卓上の小さな木戸を開けると、ギーと音がします。
ワーうまくできている、という感激が特別でした。

収録が夕刻にかかると、出前のかつ丼がでました。
またハイヤーで帰るときには、封筒が渡され、家に帰って開くと出演料「700円」が紙幣で
入っていました。 キチンと税金が引かれ、立派なプロ俳優、納税者となっていました。

NHKに通ったのは、小学4年ころから、中学2年ころの経験です。
時、あたかもTVが普及し、放送劇団もその雰囲気がでてきました。
私もやがてTVに出るそんな機会が来るのだろうと、漠然と思いましたが、止めるのに未練はありませんでした。、
その後のTVドラマなどの小柳とおる、二木てるみの活躍は、少し苦い想い出です。

閑話休題。さて今夜のラジオの二木てるみさん。
その明るい声は、当時と変わっていません。
ちょっと甘ったれたような語尾は、ほんと変わっていません。

私の過ぎた時代、もう思い出すこともなかった「NHK放送児童劇団」の記憶。
田舎の少年の、すこし輝いた体験。 そう、都会派の彼女たちと私は同時代生ですね。
二木てるみさん、いつまでもお元気でいてください。
私の少年時外のいい想い出が、あなたの声に誘われ湧き出てきますから。

以上

 gakufu a