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「僕は72歳になった。」 と、この本は始まります、
本屋で何かと思い、立ち読みで次のような「まえがき」に出合った。
「いくつになっても 「新しい経験」はできる。 そして 「新しい経験」 をすることは 「たのしい」
いつだってそうだ。
知らないものに触れる、知らないところへ行く、知らないものを見る。
それは 「たのしい」。
そして それは他のずっと別のことでも同じなんじゃないだろうか。
たとえば、一度も 「老い」 る経験をしたことがない人間にとっての 「老い」 も。
縁がありそうに思い 購入して、その続きを読んだ。
ある日、ローン融資枠がなくなるという連絡があった。銀行に電話をして聞いてみた。
70歳以上の人には、融資しないのだと言われた。
また、しばらく前に必要があり関西に小さなワンルームを借りた。
僕が70歳を超えているとと知ると、「ならば保証人が必要です」 と言われた。
そしてそこでインターネット回線を引くときも、「65歳を過ぎているので、奥様に確認をとりたい」 と。
なるほど、と思った。
70歳前後を目安にして 老人たち」は少しづつ 「社会的な死」 を迎えるのだ。
社会から、もう必要がない、とそっと言われるのだ。
僕たちには、「肉体的の死」 の前に 「社会的な死」 があるのだ。
ぼくはそう思った。
引用が長くなり、恐縮です。
私もすでに古希を過ぎました。
足腰は時々トラブルを起こす年齢になったことは、肉亭的な 「老い」 を自覚させる現象です。
でも、そこに意識は留まっていましたが、この前書きには、ハッとさせられました。
どんなに、健康の維持に注意していても、年齢という 「社会のルール」 に気づきません。
年なんて、と言うことがタブーと言われますが、「社会の則」 は甘くはありません。
「ぼくたちはどう老いるか」(高橋源一郎著、朝日新書)から
以上